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嶋田の戯言

嶋田が思いついたことをテキトーに綴ります

津波の予測

 東北地方太平洋沖地震から8年半。私は川崎市の職場にいたのだが、生きた心地がしなかった。

 まず、長周期の気持ち悪い揺れがしばらく続いた。その時事務室にいたのは私と女性社員が一人。「何これ?」って感じでいたのだが、その後に強い揺れが襲い、二人とも身の安全を確保。私もパソコンデスクの下に身を潜めた。女性社員が「何ですかこれ?」と聞いてきたので私は「分からない。東海地震(南海トラフ巨大地震という意味で)かもしれない」と答えた。私の脳内シミュレーションでは、南海トラフ地震が発生したら、私の生活圏ではあのような揺れ方になると予測していたので、咄嗟に出た言葉である。

 少し揺れが収まってきた時、私は身を乗り出してパソコンを操作し、ヤフートップページを開いた。すると、

宮城県沖 M7.9

と、速報が表示されていた。

 本来揺れが収まるまでは安全を確保しておくべきである。やってはいけないのは分かっている。でも、私の実家は静岡県にあり、仮に南海トラフ巨大地震であれば、一刻も早く母親に「すぐに高いところに行け!」と連絡したかった。電話が繋がるかどうかは分からないが・・。ということで確認した。

 南海トラフ巨大地震ではなかったが、日本海溝のプレート境界型地震と確信した私は、揺れが収まった後、ある女性社員を捜した。事務室を出ようとすると、丁度その人が「何?今の地震?」と言いながら入ってきたので、私は伝えた。

宮城県沖 M7.9 でもそんなもんじゃない。確実に8.5以上はある。旦那の実家にすぐ避難するよう伝えて

 その人のご主人の実家は三陸地方にあるのを知っていたからだ。どうやらご主人の実家は高台にあるらしく、被害には遭わなかったようだが、私はその時点ですでに、明治三陸大津波かそれ以上の大津波に襲われる事を予測していたということだ。気象庁の津波警報も、最初は2-4mだったと記憶しているが、時間が経つにつれ津波予測がどんどん上がり、10m以上の大津波が・・となった訳だが、私は体感的に最初からそんなレベルではないと感じていた。

 その根拠は何かというと、揺れている時間である。大震災の少し前、調べてみると2010年11月30日12時24分、小笠原諸島西方沖で発生したM7.1の地震。昼休みの時間で、会社の喫煙所にいたところ、何か揺れている。揺れてる?地震?・・って感じだったが、私は、これ結構大きいよ。M7くらいあるな・・と呟いた。どんぴしゃりであります。揺れている時間を計ったら大体30秒。これがM7の目安。M8なら1分ほど。東北地方太平洋沖地震は1分なんてものではない。もっと長く揺れていたし、そもそも宮城沖でM7.9なら、川崎市であれほど揺れるはずはないから、M8.5以上はあると予測したのである。東北地方太平洋沖地震はM8.4だが、気象庁マグニチュードはM8を超える巨大地震では値が飽和する傾向にあり、Mw(モーメントマグニチュード)は9.0と、最終発表されている。M8.5以上は確実という予測も当たりと言ってよいだろう。

 こんなこと、地震の揺れに対しては何の役にも立たないが、津波の予測には役立つ。M7は震源が海底ならば津波が発生するレベル、M8なら大津波レベル。しかもM8が内陸で発生したのは、明治時代に発生した濃尾地震のみで、M8以上は原則的にプレート境界型地震だと思ってよい。恐らく津波が発生する。たとえ揺れの被害はなくても、1分以上揺れたならば、海岸に近い地域は津波の警戒をすべき。特に東北地方太平洋沖地震の時は、場所によっては6分も揺れていたようで、この長さは尋常ではない。とにかく長く揺れる地震が起こったら、震源はどこか、津波はどうかという情報をいち早く掴み、揺れる時間が極端に長ければ、初期段階の津波予測の数倍を想定した行動を取ること。

 何故かというと、あれだけの超巨大地震となると、速報は規模が過小評価されてしまうのだ。気象庁のスーパーコンピュータをもってしても、発生した直後に正確な規模を把握する事はできない。なのでM7.9、津波は2-4mという低い値が出てしまう。でも、その値を見て「ここは大丈夫」だなんて安心しないでほしいのだ。時間なんか計っている余裕はないと思うが、体感的なものでよい。1分以上揺れたら、たとえ津波警報が2-4mなどと出ていても、もっと大きいのが来るかもしれないという危機感を持ってほしい。東日本大震災があれだけの被害となったのはもちろん、想像をはるかに超える巨大地震であった事が大きな要因であるが、明治三陸大津波、昭和三陸大津波の記憶が風化してしまっていたことも要因であろう。この記憶を忘れてはいけない。

 日本海溝から太平洋沿岸地域まで津波が達するにはおよそ30分かかるが、南海トラフや相模トラフは日本海溝よりも日本列島に近い位置にあるため、もし巨大地震が発生したら、10分以内に津波が到達する地域もある。とにかくいち早く避難する事が望まれる。関東大震災(相模トラフを震源とする大正関東地震による被害)は火災の被害が突出しているが、熱海では10mもの津波が到達した。元禄地震の規模は大正関東地震以上だったという。南海トラフ地震も1707年・宝永四年の宝永地震は、東北地方太平洋沖地震に匹敵するほどの巨大地震だったという説もあるし、大昔の白鳳地震とか仁和地震も、相当巨大な地震だったという説もある。

 南海トラフ地震は昭和19年の東南海地震、同21年の南海地震を観測しているものの、前者は太平洋戦争の敗戦が濃厚だった時期であり、厳しく報道統制され、ほとんど記録が残っていない。南海地震も戦後の混乱期であるため、詳細は不明なところも多い。この2つの地震は南海トラフ地震としては小規模だったようだが、何故かはよく分かっていない。前回(1854年・嘉永七年の安政東海地震、安政南海地震)から90年しか経っていなかったからなのか、発生周期は関係ないのか。それすらよく分かっていないのだから、75年後の今、突如として宝永クラスの地震が来てもおかしくない。過去の発生周期が90年から200年とされているが、これだってあくまでも過去の記録でしかない。あと15年は来ないなんて考えるのは危険だ。

 ともかく、地震はいつ起こるか分からないが、地震による津波はある程度の予測ができる。

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コメント

1. いやあ、すごかった

あの東北大震災のときは、大泉学園のショッピングモール、リビンにいたんだけど
もう、天井から吊るされている大きなシャンデリアが、左右にユッサユッサ揺れて
天井にぶつかりそうで怖かったですねえ。

家に帰ったら、棚からぼた餅、じゃなくて、本だとか、いろんなものが
みんな下に落ちてましたねえ。

昭和19年というと、はげちゃんは、5歳だったけど、ぜんぜん覚えていないなあ。
まだ小さかったからかな?

日本は、とにかくたくさんのトラフに囲まれてますから、いつ大地震が
起こっても不思議ではないのですよね。

10mの津波がきたら、東京都内も波をかぶっちゃうんでしょうかねえ?
そう考えると、ほんとに怖いですねえ。
ま、今は、日本列島のまん真ん中だから、津波の心配はないけど
東京湾の近くに住んでいる人たちは、心配ですよね。

はげちゃんも、かっては銀座が勤務地だったから、そんな津波がきたら
波をかぶっちゃったかもね。

ほんとに、もうあんな大地震は、起こってほしくないですね。

2. 怖かったですね

あの地震の時は会社の建物の4階に居ましたが、どうやら4階の揺れが一番ひどく、3階以下は特に何もなし。
4階は商品の保管庫から商品が落ちたりして大変でした。が、
そのままにしておいても特に危険はないので、
電熱器具やガス器具などを停止させ、危険のないものは放置したまま全員帰宅。
月曜日に後片付けが大変でしたね。

昭和19年の東南海地震は、潮岬沖から始まった断層破壊が、遠州灘沖で止まったとされており、
駿河湾までは達していないようで、私の母も覚えていないです。
うちの田舎ですら震度は5弱程度と推定されますから、東京地方ではもっと揺れは小さかったでしょう。
おそらく長周期振動が中心で、一般的な家屋では被害は出なかったでしょうね。
覚えていないのは当然かも。
その頃は超高層ビルなんか無かったでしょうし。

東京湾は、東京湾の海底で断層が上下にずれるような地震でもない限り、大きな津波は来ないと言われていますが(湾の入り口が狭く、奥に向かって広がっているため)、それでも数mの津波はあり得ますから、江戸川区など、海抜0m地帯が広がる区域は要注意です。
銀座なら高い建物はいくらでもありますから、4階以上にとりあえず避難しておけば、津波にのまれて死亡・・ということは避けられるかと。
さすがにはげちゃんのところまで津波が行くのは、太平洋に巨大隕石が落ちるなどしない限りあり得ないでしょう(これが起こると数百mの超巨大津波が太平洋沿岸地域をのみ込むでしょうね)。

千島カムチャツカ海溝、日本海溝、伊豆小笠原海溝、相模トラフ、南海トラフ、琉球海溝・・・
いっぱいありますねぇ。
このどこかで時々、巨大なのが発生する。
プレートが動いている事が原因なのですが、これが無くなると・・

プレートが沈み込み、割れる

マントルの最深部、外部コアとの境界まで落ち込む

外部コア(鉄やニッケル)が強く攪拌される

磁気(地磁気)が発生する

その地磁気が生物に有害な太陽風をブロックする

という作用もなくなるので、我々は生きていけないかも。

プロフィール

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嶋田友馬
性別:
非公開

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