嶋田が思いついたことをテキトーに綴ります
最近のネット上で話題になったことの一つに#KuTooがある。MeTooと靴、苦痛を掛け合わせたもののようだ。女性がハイヒールやパンプスを履く事を強要される事に対する反対運動のようだが、これはまあ、概ね賛成である。あんな踵が高く、つま先が窮屈な靴を毎日のように履いていて、健康に良くないというのはよく分かる。少なくとも私は、取引先の営業さん(女性)がローファーを履いてきても、何ら問題ないと思う。ローファーは基本的にカジュアルシューズらしいが、ビジネスシューズとして認めても良いと思うのだ。
ただ、事の発端は、あるタレントが葬儀場でアルバイトをしていて苦痛に感じていたという事らしいのだが、葬儀場って、庶民にとっては最高にフォーマルが求められる場所ではないかと。根本厚生労働大臣が答弁していた「社会通念上その必要があると認められる場合」に該当すると思うのだが・・。まあ、でもフォーマルシューズで、なるべく脚に負担にならないような物を開発していく切っ掛けになればそれでよいのかな。それでもハイヒールやパンプスを履きたいのであれば、履けばいいわけだし。
そしてもう一つが、痴漢撃退法として、安全ピンで刺すということの是非。痴漢なんかやられて当然、いや、誤爆の危険があるなど、賛否両論が巻き起こっているが・・、私としては「絶対にしないで下さい」だ。
別に痴漢を擁護しているわけではない。あんな卑劣な行為をしたなら、心情的にはやられて当然だ。でも、危険だから止めてほしい。
痴漢はよほどの事をすれば強制猥褻罪になるようだが、通常は都道府県の迷惑防止条例で処罰される事案。一方、安全ピンで人を刺す行為は暴行罪、怪我をさせれば傷害罪に該当する。痴漢よりもよほど重い罪である。痴漢撃退のためなら正当防衛だろうという意見もあるが、これはほぼ認められないだろう。せいぜい過剰防衛として減刑されるくらいだ。ましてや誤爆ともなれば、暴行・傷害の前科者になりかねない。
さらに、安全性の問題だ。ある鍼灸師が止めるよう訴えたら、痴漢を擁護するのかと炎上したそうだが、使用する針の消毒や衛生管理に神経を使っている鍼灸師だからこそ、そう訴えるのだ。消毒もしていない針で刺したらどうなるか。そして、一発目は痴漢に刺さったものの、二発目は他人に刺さってしまった場合、その痴漢がB型肝炎ウイルスを持っていれば、誤爆された人にそれを感染させる可能性がある。考えすぎ・・ではない。昔は予防接種の際、同じ針で数名接種していたのだが、それで肝炎ウイルスに感染したと考えられる事例が少なからずあるのだ。しかもそれは即発性のものでなく、20年、30年かけて徐々に体を蝕み、最悪の場合肝臓ガンにまで発展するという、非常に厄介なウイルスである。そんな物を感染させるリスクのある行為を容認するわけにはいかない。
痴漢は女性の敵であるが、男性だって、冤罪で捕まったりすれば、社会的地位を失ったりもする。男性にとってもあいつらは敵なのだ。犯罪行為にならない範囲で効果的な撃退法ってないのかな?
本件につきましては議論をしたところで平行線になることは明らかでありますので、反論は無視します。
今日の報道によると、和歌山県太地町における追い込み漁について、某動物愛護団体代表が、「クジラやイルカが苦痛の多い方法で殺害されているのは動物愛護法に違反している」として、和歌山県知事、県を相手に漁の許可取り消しを求める訴えを起こしたとか。こともあろうに太地町の住民も原告の一人として加わっているとか。そこで育った住民だとしたら情けない話だね。オーストラリアのイカレたイルカ保護団体も支援しているとか。「多くの日本人はイルカを魚と認識し、イルカには動物愛護法が適用されないと勘違いしている。この訴訟ではイルカは魚類ではなくほ乳類であることを明確にします」だとさ。おいおい、日本の教育水準はそんなに低くはないぞ。日本人をナメてるのか? イルカが哺乳類だなんて事は乳幼児を除けばほぼ全ての日本人は知っている。バカにするな!
日本が国際鯨保護狂会・・じゃなくて国際捕鯨委員会からの脱退を表明したため、風当たりが強くなるとは予想していたが、国内からこんな動きが出るとはね。大英帝国でデモが行われ、東京オリンピックボイコットを叫んだのに対しては「どうぞご自由に」だったが、国内から出てくるとはこれまた情けない。国際捕鯨委員会というのはそもそも、鯨の資源管理をし、各国に捕獲量を割り当てるためのものであるはずだが、科学委員会が資源量は十分にあるとしても総会で否決される。鯨は可愛いとか頭が良いとか、訳の分からんことをぬかす連中の巣窟となり、まともな議論もできなければ資源管理委員会としての役割を放棄しているのであるから、脱会して当然。奴らは世界中の海を鯨が埋め尽くしても、鯨は絶滅しかけているとか言うだろう。まあ、そうなる前に餌が無くなって、勝手に餓死して数は減るだろうが。今海洋資源が全般的に減っているのは、乱獲もあるだろうが、鯨が増えて餌として相当量が食われているからだという説もある。
ましてやイルカについては国際鯨保護狂会の管轄外だから、文句を言われる筋合いはない。個体数だって相当数いる。しかも食い始めたのは昨日今日の話ではない。私の故郷では縄文時代の遺跡からイルカの骨が出土するそうだ。捕獲して食って何が悪い。イルカは頭がよいから食べてはいけないなんてのは、人種差別にも通じる偏見的な考えであると私は確信する。イルカだろうがニワトリだろうが、生きていることには変わりない。
太地町は地形を見れば農業にあまり適さないことは容易に想像できる。現在(2016年のデータ)でも太地町の農業生産額は1千万円程度で、全国1679位(1719市町村中)、生産額の全てが果物だという。一方、良い入り江があり、昔から漁業で食べてきたことはこれまた容易に想像できる。ところが、イルカが大挙して出没すれば、入り江の中の魚を根こそぎ食い漁っていく。沿岸漁業従事者からすれば紛れもなく、海のギャングである。獲らなければ死活問題だ。それと、イルカは一頭捕獲すれば、かなりの人の貴重なタンパク源となる。そんな土地柄だから、遅くとも江戸初期には組織的な鯨・イルカ漁が成立したとされており、これはもう立派な伝統であり文化である。私は南氷洋のミンククジラ漁については積極的な賛成派ではないが、太地町のような伝統的な鯨・イルカ漁はその土地の文化として尊重すべきだという見解だ。もちろんうちの故郷でもやって欲しいがね。昔は皮付きの肉が入手できたが、今では全然手に入らない。イルカの皮付き肉と根菜の煮込みは、私のソウルフードの一つなのである。
さて、この訴えをした団体は、どうやら動物食を否定する団体だそうだ。動物を食べたりするのはダメだし、他の命に迷惑をかけず、充実して生きていくという、大層ご立派な方々だそうだ。他の命に迷惑をかけず・・ってことは、植物だって命だよ・・ね?
私が思うには、植物を食べるのは残酷だ。ニンジンやネギは、放っておけば芽が出てきたり茎が伸びてきたりするだろう。ジャガイモだって芽が出てくる。つまり生きている。葉っぱだって細胞はしばらくの間生きている。それを生でバリバリ食ったり、細胞が生きたまま釜ゆでの刑にして食うなんて、何と残酷なことか。そもそも刈り取ったり引っこ抜いたりするのは残酷だろう。動物を屠殺するのと何が違うって話だ。どちらも生きている。痛がったり苦しんだりしない(あるいは痛がったり苦しんだりしているのかもしれないが人がそれを理解できていない)からって、植物なら良いと言うのであれば、あまりにも想像力がなさ過ぎる。
まあ、動物を食べるなと主張するのは勝手だし、私とは完全に相容れないから勝手にどうぞという感じだが、そんなに動物食(牛乳や卵も含めて)を否定するのであれば、どうぞ、ビタミンB12欠乏症で苦しんで下さいな。私が知る限り、動物性食品以外でビタミンB12を含んでいるのは海苔くらいのものだ。嘘だと思ったら文科省が公表している食品成分表を検索してみるとよい。穀物、野菜、果物、芋類は、ことごとく0またはTR(検出はするが定量はできない=栄養摂取の観点からは全く期待できない)のどちらかだ。ちなみにその海苔についても、海苔のビタミンB12は、含有量は十分でも吸収効率が悪く、栄養的には評価できないとする専門家もいるようだ。おっと、発酵法で作ったビタミンB12製剤も、その培地に肉エキスとか使っていたら当然ダメですよね!
人間の腸にはビタミンB12を産生する菌は居ない訳だし、数百万年前に人類の祖先が海で海苔を採取して食っていたとは思えないので、人間が健康に生きていくためには何かしらの動物性食品が必要であることは明らかであり、我々の祖先はそのような暮らしをしていたはず(実際動物の骨とか狩りの道具は各地の遺跡から発見されているわけだし)。動物を食うなと言うのは、人類の進化の過程までも否定することにはならんのか?
まあ、少なくともカンガルーを食っているような国とか、狐を遊びで追い回していたような国とか、油を獲るためだけに鯨を殺しまくっていたような国の連中に文句を言われる筋合いはない。
嶋田の戯言がブログでの再スタートとなりました。随分更新をサボっていましたが、これからは普段使っているメインパソコンから更新できるので、頻度はアップすると思います(多分)。
さて、リスタート最初の記事は、タイムリーなこともあって、これまで何度か取り上げたあの放送局についてです。
日本変態協会・・ではなく日本放送協会、NHKですな。7日にNHKの受信契約・受信料の徴収に対し、最高裁の判断が下され、案の定、受信料の徴収は合憲という最高裁のお墨付きが出たわけです。これに関しては予想の範疇というか、まあそうなるだろうなと思っていましたが、付帯意見も大した物が出されなかった点には大いに不満なわけです。
そもそもこの制度がスタートした頃は、テレビの普及率はそんなに高くなく、受益者が負担するのは理にかなっていたと思いますし、情報を得る手段や家庭内の娯楽としてテレビが大きな役割をしていたのも事実で、なおかつ私の田舎では私が生まれた頃、NHK総合と教育、あとは民放系が1つしかなかったそうで、NHKが報道や教育だけでなく、娯楽番組などを製作して放送する意義もそれなりにあったことでしょう。
ですが今はほとんどの都道府県で民報ネットワークができており、テレビ以外の娯楽も増え、多様化したことで、少なくともNHKがドラマや歌番組、バラエティーにスポーツを放送する意義がどこにあるのかと考えてしまうわけです。別にそんな物みたいと思っていない人にとっては、これらに多くの制作費を費やすのは納得がいかない話し。オリンピックなんかあんなに高騰している放映権料だってそこから払ってるんでしょう? 興味もなく見たいと思わない私には大迷惑な話です。放映しなくて良いから受信料安くしろってね。そもそもスポーツの祭典なんて名ばかりでバリバリの興業じゃん。東京五輪なんかクソ暑い8月に開催なんて、狂っているとしか言いようがない(アメリカのスポンサーが大きな影響力を持っているから、アメリカのスポーツ放送が手薄な8月にやるらしい)。
現状では、NHKは見ないから(他局は見るが)は契約拒否の理由としてはやや弱い。民放だろうとNHKが開発した技術は使っているわけですからね。ですから先ずこの技術開発部門を完全民営化すれば良いんじゃないの? と思うわけです。そもそもここの役割はもう、視聴者からふんだくった金でやるべきではない。ハイビジョンだかなんだか知らないけど、テレビなんかアナログのブラウン管テレビで十分だと今でも思っている私にとって、高画質化なんかもう、それで見たい人たちが(受信装置の代金に上乗せして)負担してよってことになります。難視聴地域解消に資金を投入するならともかく、高画質化なんか趣味の世界としか思えない。
番組の構成も考えるべきでしょう。私としては「公正な」報道、国会中継、教育、教養、文化部門を現行通り残し、それ以外は娯楽部門とし、現在の総合を報道(以下略)部門とし、教育を娯楽部門のチャンネルとして完全に分け、報道部門は受信契約・受信料徴収、娯楽部門はスクランブルを掛け、契約者だけが見られるようにする。CMを導入して受信料を抑えるなどしても良いだろう。つまり、見たくもない大河ドラマなどに制作費をつぎ込んでそれを見たくもない人に負担を求める・・という旧態依然とした体質を改善して頂きたいのだ。そして、報道+娯楽での契約による受信料が、現在の受信料を超えないようにする。報道部門だけの契約なら多分月数百円で済むだろう。これで「公正な」報道をしてくれればそんなに文句は出ないでしょう。
あくまでも公共のためと言い張るのであれば、これも丁度タイムリーな話題だが、大相撲の放送は中止すると、協会に通告して欲しい。「暴行事件に関して公正に調査し、今後の対策を含めた国民が納得できる報告がなされるまで大相撲は放送しない」。これをやられたら日本相撲協会も大打撃だろうから真剣にやるでしょう。それでも改善がなされないなら公共放送で放送する価値はない。もちろん放送するとしても娯楽部門で別契約ということにして欲しいところだ。高校野球も娯楽部門でよい。教育の一環だと言っているようだが、ならば将棋や囲碁の全国大会とかも1回戦から放送すべきではないのだろうか。
判断が微妙な番組もある。歴史秘話ヒストリアあたりは教養部門とも取れるし歴史を題材としたバラエティーとも取れる。まあ、この辺りはどちらに入っても文句は言えないところでしょう。私が毎週見ている「さわやか自然百景」はこれぞNHKならではの番組だと思っているので、各地の自然を紹介する教養・文化部門でよいと思う。
だがNHKがこれらをやるとは思っていない。なぜなら今では民放よりも高いと言われている給与を維持するためには、国民からふんだくる必要があるからだ。去年の都知事選に出馬した立花氏はNHKをぶっ壊すと熱弁を振るっていたが、それは都知事選ではなく国会議員選で主張してよ。と言うくらい、国も本気でやる気はないだろうから埒があかない。国民の不満が募るのも当然だろう。
最後になるが、インターネットの高速回線で接続できる環境にあれば受信料を徴収するというアレは、全力で阻止しなければいけない。うちは関係ないが(テレビの受信契約をして受信料を支払っているからネットは別契約する必要はない)、こんなもんネットの世界に勝手に同時配信して金払えと言う、悪徳商法に他ならない。それと海外向けの無料放送もやめてもらいたいね。受信者が公平に負担していないじゃない。それこそスクランブルを掛けるべきものだ。