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嶋田の戯言

嶋田が思いついたことをテキトーに綴ります

コンプライアンスの問題で再放送できないだろうな

 先日、昔ビデオデッキで録画した番組をブルーレイにダビングしてあったのを久々に視た。その中には初代GTO(但し再放送なので一部カットされている)もあって、今、丁度現代版GTOを放映中なので、視返した。やっぱこのドラマ良いわ。鬼塚は暴力教師などと言われているし、のぼるや雅を屋上から逆さ吊りってのはあり得ない。ただ、基本的に鬼塚の「暴力」は生徒を守るために使われる。現代版はもう、コンプライアンスだか何だか知らないが、そういうシーンは封印されるのだろう。鬼塚らしさが無いって意見もあるが、そもそも鬼塚は教師っていうより、生徒と友達になって、ダチを守っているって感覚。そういう意味では今回も毎回一人ずつ鬼塚のダチになっているので、そこは鬼塚らしいと言える。そして生見愛瑠(柏原先生役)の演技がいい。面倒くさがっている割には生徒のことを考えているし、毎回表情が良い。生徒にブチ切れたシーンも良かった。そして気弱な校長も気になる。もしかしたら・・。
 
 で、暴力シーンはコンプライアンス的に難しい訳だが、ビデオデッキからダビングしたものの中には、GTOなど比べ物にならないくらいエグいのが入っていた。これはもう、再放送すらできそうもないか。それが下記のドラマである。
  
打撃天使ルリ(2008)
 
 原作でのルリは女子高生で、新体操をやっていることになっているが、ドラマでは体の弱い30歳のOL(演:菊川怜)。だいぶ設定が違うのだがそこは突っ込まないことにしよう。ルリはある日の帰り、引ったくりの不良に襲われ、スタンガンを当てられるが、朦朧とした意識の中、ピザ配達のお兄さん(相馬健一郎,演:遠藤雄弥)が腕を回しながら近づいてきたのが見える。そして閃光と轟音の中、ルリを襲った不良が吹っ飛び・・。気付くと家で、母親が心配そうに顔を覗き込む。ルリはきっとあのピザ屋さんが助けてくれたんだと思っていたが、家を出ると健一郎が纏わりついてきて、やったのはルリだという。その後ルリはコンビニの前で屯する不良たちに絡まれ、助けようとした会社員(田島)がボコボコにされる。だがそれだけでは終わらず、田島の妻と娘が連れ去られ、生きたままコンクリ詰めにされようとしている。ルリもその場に連れ去られ、田島は不良共から「妻と娘を助けたければルリをこれ(電動ドリル)でぶっ刺せ」と命令され、「ごめんな。許してくれ」と言い、ルリを襲う。しかし、激しい怒りと共に覚醒したルリは右の拳から光を放ち、不良どもを「ダシャア」と叫びながらぶん殴り、不良どもは屋根を突き破って吹っ飛んだり、地面にめり込んだり・・。
 
 それは打撃と言われるもので、ルリはその能力を有した「打撃人類」だという。そして・・打撃されて死んだ者はおらず、何故か幸せそうな笑みを浮かべ、魂が抜けたようになってしまうという。そして打撃人類は悪を呼び寄せるといい、その通りルリは様々な事件に巻き込まれ、そして打撃していく。決め台詞は「触るな 外道」、「許せない奴が多すぎる」。ルリはその行為が正義であると信じていたが・・
 
 このドラマ、とにかく犯罪のシーンがエグい。第1話から、田島の妻と娘を生きたままコンクリ詰めだよ。最終的にはルリが助けるのだが、そこまでするかって感じ。まあ、だからナイトドラマ枠なのだろうし、結局この犯罪のエグさで、ルリや健一郎の打撃が「正義の暴力」であることを強調しているのだろう。だが、ルリは第5話、三宅(第3話で打撃した)の父を打撃した(復讐のためルリの父母に暴行した)ことで、打撃した相手にも家族がいる。はたして自分のしていることは正義なのかと葛藤するようになる。一方で打撃されたのはいずれも悪党であり、「恐怖の暴行魔」(ルリたちのこと)は正義の味方という論調が(ドラマの中で)巻き起こっているし、助けられた人たちは暴行魔がルリだって分かっているのに、警察にそのことを証言していない(まあ、私が助けられたなら絶対に言わないがね)。結局ルリは、打撃の意味を模索しながら、正義か悪かの葛藤を抱きながら、それでも悪を打撃する。
 
 一方恐怖の暴行魔を追うデカ長の神取は、かつて妻と子を殺害されるも、犯人は心神喪失状態で無罪の判決が出て、法で裁けない悪があることを痛感していた。しかしそこに悪を打撃する奴らが出現したことで、歪んだ正義感に取り憑かれ、恐怖の暴行魔を激しく憎悪する。神取は犯人をぶち殺してやりたかっただろうがそれができずに苦しんだ。だからこそ悪を私刑に処している恐怖の暴行魔が許せなかったのであろう。そして神取は暴走し、ついには部下を撃ち、ルリと対峙することになる。だが銃で撃とうとする腕を死んだ息子(幻影)に掴まれ、息子は首を横に振る。そして打撃される。最後まで正義とは何なのかと悩みつつ、打撃人類としての宿命に苦悩し、葛藤を抱え、それでも苦しむ人々を救い、戦う姿が描かれたドラマであった。
 
 苦悩した人は他にもいる。ルリが指名手配(神取が証拠も無いのに手配した)されると、両親は暴行魔の家族としてバッシングを受ける。そんな中、母は「あの子、辛いってたくさんサイン出していたのに、私、全然それに気づいてやれなかった」と悔やみ、父も「気づいてやれなかったのは僕も同じだ」と悔やむ。ルリだけでなくデカ長も、ルリの家族も、それぞれ辛い。ルリに助けられた同僚の水上も、「ルリ先輩は私を助けてくれた。それなのに、私は先輩のために何もできなくて」と泣き崩れてしまう。彼女もまた辛い。正義を振りかざすことが正しいのかと問い、しかしやらなければやられる。そんな葛藤と苦悩を描く辛いドラマで、難点は山ほどあるし、早々に離脱する人も多かったようだが、私は完走した。
 
 このドラマのエンディングは神取を打撃してから数年後。最終話で刺されて倒れた健一郎が生きていて、ルリに近寄っていき、二人で画面奥の方に歩いて行くが、そこからカメラが引いていって、ビルの屋上に一人立っているルリが映し出される。これは不自然であり、ルリが二人いるってことになるのだが・・。素直に健一郎は生きていたと解釈する向きもあるようで、Wikipediaでは「悪いサラリーマンにレイプされそうになった女子高生を救うため刺され倒れるが一命を取り留めており、ラストシーンでルリと再会した」となっているが、私の解釈では健一郎とルリが再会するシーンは、屋上にいるルリが「こうだったらよかったのに」って思い浮かべているもの。つまり、残念ながら健一郎は亡くなっている。そもそも二人は指名手配犯なのだから、あんな人目に付くところを堂々と歩けるはずがない。仮に堂々と歩けるようになっているのなら、両親のもとに帰っていてもおかしくないだろう。ルリは未だ、戻ることができない状態にある。結局正義のためとはいえ、暴行魔として追われているという終結をもって、極悪人であっても法で裁くべきであり、私的に成敗するのは認められないことを示唆しているように思える。個人的には勧善懲悪ものが好きで、極悪人を打撃するのはスカッとするのだが、かといって法的には認められないだろうからこういう結末にするしかないのかも。
 
 但し、一連の事件で凶器を使用した形跡は全くないわけで、素手で殴って相手が壁や天井をぶち抜いて10m以上吹っ飛んだり、床にめり込んだりするはずがなく、それを実証することも不可能。また、普通に考えてそれだけのことをしたらやった側にだって相当な衝撃があるはずで、華奢なルリにそんなことができるとは誰も思わない。これ、結局証拠不十分になるのでは? と思うのだがいかがなものでしょう。
 
 このドラマで印象的だったのは、ルリと健一郎を導いている謎めいた少女・片桐唯(演:沢木ルカ)で、「正義から生まれる悪もある」とか「この世に天使も悪魔も存在しない」とか、禅問答のようなことを口にする。また、「天敵のいない動物は増長して自然のサイクルを狂わす。理性を忘れた弱肉強食、強者が弱者を制御し、搾取していく世の中に、いつしか人はなる。怒りを忘れた愚鈍な家畜と化した。怒りを忘れた社会に代わって悪を粉砕する。それが打撃人類。それがあなたの宿命。」などと、大人びた発言が目立つ。唯はルリが子供の頃、悪い奴らに誘拐されそうになったのを打撃で救った。悪に目覚めた打撃人類である父を打撃して以降、打撃を封印していたにもかかわらず。で、父の打撃以降唯の時間は止まっていたという設定で、10代になったくらいの少女の姿だが、実はルリよりも年上ってことになる。なので子供(?)のくせにルリ、健一郎と呼び捨てにしている。演じていた沢木ルカは当時11歳で、ボーイッシュな面立ちの中にも何となく色気も感じられ、末恐ろしい(役者として大成するかもって意味)と感じていたが、10年以上前に引退しているらしい。
 
 
 そしてGTOつながりで、このドラマも視返した(これはビデオからのダビングではないが)。
 
 
仮面ティーチャー(2013)
 
 GTOと同じく藤沢とおるの漫画を原作とする。仮面ライダーのようなフルフェイスのヘルメットをかぶった「仮面ティーチャー」という謎の教師が主人公で、彼らは文部科学省から「生徒の更生のためならば暴力の行使も許された教師」という設定である。教師による体罰が明確に禁止されたことにより、教師を、大人を舐めくさり、挑発するような態度をとるクソガキがゾロゾロと湧いてきたことに対する作者なりの問題提起と私は捉えている。
 
 ところが、荒木剛太・銀の仮面ティーチャーは、決して生徒に暴力は振るわない。それはかつて、剛太が仮面ティーチャーとして制裁を加えた不良グループに加入していた翔平が追い詰められ、逃げ込んだ高所から転落して(剛太は手を差し伸べたが翔平は怯えて手を掴むことができなかった)死亡したことをずっと悔やんでいたため。但し、生徒に危害を加えようとする大人には容赦しない。一方この学校にはもう一人、黒の仮面ティーチャーが現れ、こちらは生徒に対しても平然と暴力を振るい、剛太と対立するようになる。その正体は何と、剛太のクラスの生徒だった。
 
 反目し合う銀と黒だが、二人の偽者が出現し、生徒らを次々とボコボコにしていく。黒は偽者と対峙するが、返り討ちにあってしまう。最終回では偽者二人が剛太のクラスの生徒たちを蹂躙しようとする中、銀と黒が力を合わせ、偽者二人を倒す。黒は自分のやり方は変えないと言うが、一方的な力で生徒を服従させる行為を見直すようになっていく。
 
 文科省が暴力を認めた教師なんて設定がそもそもあり得ないのだが、体罰を禁止すればそういうのが出てくるよね。手を出せないことをいいことに、教師を挑発するクソガキがさ。私たちの頃なんか明確に体罰をしなくたって、体育教師とかは怖がられていたもの。それくらいで良いと思っている。
 
 私はよく、「怒るのはダメだけど叱るのは必要」って言っている。怒るは自分の感情をぶつけることで、叱るは相手のためを思って強く言うこと。そして人を傷つけるようなことをした場合は、叩くのもありかなって思うのだ。もちろんそこに怒りは不要。打たれた方よりも打つ方の心が痛いって時だけ。褒めて育てるなんて悪い冗談だって思っている。もちろん暴力を肯定するわけではない。だが、厳しさは必要だろう。それを極端に誇張して表現したのがこのドラマであると思っている。
 
 このドラマで剛太がよく行くカフェを経営しているのは、死んだ翔平の父。剛太は謝罪に行くが、最初は剛太のことが許せなかった。しかし不良グループに入ってしまった息子にも非があったことは理解しており、何度も謝罪し、翔平の事故死をずっと引きずっている剛太を許し、今では剛太に教育界を照らす光になってほしいと願っている。娘(翔平の妹)は「剛太さん」が兄を死に追いやった仮面ティーチャーであることは知らない。終盤でそれを知り、剛太を激しく恨むが、生徒のために命懸けで戦う剛太を、次第に理解していく。なお、このカフェでは「3年C組金髪先生」という劇中劇が毎回流れており、翔平の父と妹は意味不明な番組と酷評しているが、剛太は金髪先生を尊敬している。 
 
 
 
 
 
 私は思うのだ。「言葉の通じない(聞く耳を持たない)者から大切な人や物を守るためには、それ以上の力でねじ伏せることも有りだろう」って。だってさ、警察に通報して駆けつけてくる間にさ、多分もうやられちゃってるのよ。そういう状況になっても私には多分何もできないから。人を殴ったのなんて、記憶にあるのは幼稚園の頃、私をいじめてた奴に反撃した時だけ(それもたまたまクリーンヒットした)。それ以上の圧倒的な力でねじ伏せたいけど、自分ではできないからこういう漫画とかドラマにはある種のあこがれを感じるんだよね。そしてもしそんな状況に陥った際に誰かが犯人をボコボコにして助けてくれたら、私は絶対に警察には売らないよ。正義の味方に助けてもらった。半分気絶していてよく分からない。服装とかも覚えていない。なんてとぼけるだろうよ。もっとも、今は防犯カメラとか車載カメラで足取りが追われていくだろうがね、何とか捕まらないでいてくれって思うよ、きっと。
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HN:
嶋田友馬
性別:
非公開

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